1月 27 2013
昨年末に亡くなられた棋士・米長邦夫さんを偲び、昭和57年に刊行された「人間における勝負の研究」をあらためて読み直しています。この本は米長さんの生き方、将棋哲学がたっぷりと詰まった勝負論でもあり、将棋を切り口にした人生論でもあります。39歳頃に書かれた内容ですが、亡くなられるまでスタンスを変えず、常に新手模索の挑戦を続けられた印象を受けます。
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この本の中で私が気になった言葉があります。それが「闇市の世界」。
例えばこんなくだり。
〜将棋というのは必ず泥試合になるもので、40手目ごろから先は「闇市の世界」みたいになって、既成の価値観が狂ってしまう。人生でいえば戦争、地震、倒産の危機等、波瀾万丈になる。それで、学歴とか肩書きとかはもうどうでもよい。要するに努力しかない、ということになるのです。〜
とか
〜江戸時代みたいに、鎖国やら身分制度の固定やらで、もろもろの事柄が動かしにくい状態なら、かなり見通しがきくかもしれません。しかし、現代は「不確実性の時代」などという言葉が使われるように、いつ、何が変化するかわからない時代でしょう。将棋は、もっともっと闇市的な世界なのです。〜
など。
30年前の著作ですが、今の世の中、今の生き方にも通じるものがあります。時代変化が年々短期スパンになり、ますますスピードや柔軟性が求められる。一寸先がもう見えない。手探り状態に近いような、まさに闇市ですね。考えさせられます。そんな闇市の世界をどう生き抜くか。
ほかにもこんな一文があります。
「序盤の一手より中盤・終盤の一手が重要」
「本当の勝負はパターンから外れたときに始まる」
私どもの広告業界も決まったパターンだったかつてのビジネスモデルが崩れ、将棋の終盤に近いような局面になっています。そして群雄割拠の競合環境の中で、定跡を超えた「次の一手」「新手探し」を模索しているわけですが、結局は「新手挑戦の勇気」「スピード深読み・先読み・決断」「柔軟性・適応性」のあるなしが勝負の分かれ目かなと。先が見えないのは当たり前。一寸以内の中で変化・対応していく力を今後さらに磨いていかねば、と思う今日この頃です。